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今朝、悲しいニュースが飛び込んできました・・・。
あの『ルパン三世』の生みの親であるモンキー・パンチ先生が肺炎で亡くなられたそうです。
小さい頃から大好きだったテレビアニメの『ルパン三世』の原作者であるモンキー・パンチ先生の描くルパンはカッコよくててエロくて、渋くて本当に大好きでした。
そんな先生がどんな方だったのか、どのような作品を作っていたのかについて調べたいと思います。
モンキー・パンチ|プロフィール
本名: 加藤 一彦(かとう かずひこ)
国籍: 日本
職業: 漫画家、デジタルクリエイター、教授
称号: 修士(東京工科大学大学院)
ジャンル: 青年漫画
受賞: 1980年代以降:INKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award、功労賞
公式サイト: 公式サイト
来歴
実家は漁師。
学生時代は地元唯一の医師である道下俊一の元でレントゲンの助手などを行っており、漫画で患者を和ませていた。
北海道霧多布高等学校を経て、東海大学専門学校電気科中退。
手塚治虫の漫画の影響を受けて、漫画を描き始め、高校卒業後すぐに上京、「加東一彦」のペンネームで貸本専門の出版社で漫画家のアルバイトをしながら、弟の加藤輝彦と、もう一人の友人と同人活動を行っていた。
それが「漫画ストーリー」(双葉社)の清水文人編集長の目に留まり、1965年に、「ムタ永二」のペンネームにて『プレイボーイ入門』(「漫画ストーリー」)で本格的なデビューを果たす。
「マニア・ぐるうぷ」名義で、「摩周仙二」「霧多永二」などが参加しているようにみせていたが、実際はすべて加藤一人で執筆していた。
「加東一彦」、「かとう・一彦」のペンネームも併せて使用していた。
1966年、清水編集長の命令でペンネームを「モンキー・パンチ」に改名。清水が新人に適当に付けた名前なので本人は気に入っておらず、1年ほどで変えるつもりだったが、この名義で翌年に発表した作品が大ヒットしてしまったので変えられなくなった(なお、清水がこの時期に新人に適当に付けた外国人風の名前にはバロン吉元やケン月影などがある)。
1967年5月、バロン吉元やケン月影など「漫画ストーリー」の新人漫画家を中心として刊行された「増刊漫画ストーリーアクション特集号」の表紙絵に抜擢され、8月に清水を編集長として新たに創刊された青年向け週刊漫画雑誌『WEEKLY漫画アクション』の表紙絵も引き続いて担当。
また、『漫画アクション』8月10日創刊号より「ルブラン原作」表記で『ルパン三世』の連載(2年間)を始める。これが現在も継続してアニメ化されるほどの大ヒットとなり、出世作にして代表作となった。
この時期に「モンキー・パンチ」名義で発表された『ルパン三世』などの作品は、主に一彦が物語やキャラクターを考え、絵は輝彦との共同作業という形をとっていたが、その後は一彦の一人だけによる名義となっている。
1980年代以降、サンディエゴ・コミックコンベンションにてINKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞を受賞し、国内外から注目されている。
2003年4月、66歳にして、「きちんとした勉強をしないと、これ以上先に進めない」と考え、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に入学し、2005年3月に修了した。
2005年4月より、大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース教授(2007年4月より、メディア・芸術学部マンガ・アニメーション系)。
2015年、東京アニメアワード2015・アニメ功労賞を受賞。
2017年、専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問に就任。
(引用・参考:Wikipedia)
主な漫画作品
1962年:ナンバー5+α、GANハスラー、反逆児、犯人を挙げろ、公開殺人、秘密工作、影のない男、いかす奴、復讐 ※かとう一彦名義、怪談野郎 ※ 加東一彦名義
1965年:プレイボーイ入門 ※ マニア・ぐるうぷ(ムタ永二)名義、荒野の無用心棒、ピンクガードマン…必殺のブルース、アウト・サイダー ※かとう・一彦名義(衛星でアニメ化)、C調刑事さん(アウト・サイダー3) ※かとう・一彦名義
1967年:銀座旋風児、ルパン三世(原作:モーリス・ルブラン ※掲載誌表記)※以後「モンキー・パンチ」名義
1968年:ウエスタン侍
1969年:パンドラ(衛星でアニメ化)
1970年:スパイ貴族(衛星でアニメ化)、ドキュメント狂、ルパン三世外伝、TAC・TICS、復讐屋(リベンジャー)(衛星でアニメ化)
1971年:マルチ、怪人ジャガーマン、ルパン三世 新冒険
1972年:シャム猫 (漫画)(アニメ映画化)、摩訶男、ムッシュ甲賀(原作:辻真先)、KEY
1973年:やる気充分、囮屋 なめくじ、ホームズ対ルパン ダイヤのビーナス(加納一朗著学研ジュニアチャンピオンコース『名探偵登場』所載)
1974年:おれはカザノ派(衛星でアニメ化)、カラー・ガール(衛星でアニメ化)、一宿一飯(衛星でアニメ化)、ルパン小僧(週刊少年アクションで短期連載)
1976年:どらきゅらクン、UPUPバルーン(衛星でアニメ化)、サイレント・ウォーキング(「UPUPバルーン」奇想天外文庫に収録)、虚人烈伝 (コミックギャング)、ナポレオン (コミックギャング)
1977年:新ルパン三世、逆イソップ物語(衛星でアニメ化)、透明紳士(衛星でアニメ化)、アリス・ザ・ワイルド(衛星でアニメ化)、あっかん兵衛 (コミックギャング)
1978年:月光仮面(原作:川内康範)、時間エージェント(原作:小松左京)、あに丸大将、快傑ゼロ
1980年:シンデレラボーイ(アニメ化)
1981年:ホーラ・ホームズ
1982年:宇宙冒険隊メカベンジャー、シンデレラボーイ ※ 上記とは別作品
1983年:ローラーボーイ、ラッキー・モンキー、マイコンボーイ (旺文社 パソコン誌)
1984年:SEXY・ルパン・3、ルパン三世の英会話作戦、ラッキーどんきー(北海道新聞 日曜版)
1985年:ホット・ブレイク(原作:玉置輝)
1986年:ピンキィ・パンキィ(衛星でアニメ化)、ダアティ・ジョオク、ろぼっと球団ガラクターズ(アニメ「おまかせスクラッパーズ」原作)
1990年:ぎゃくてんデジタル組(毎日中学生新聞)
1991年:緊急発進セイバーキッズ(アニメ化)
1997年以降:MUSASHI -GUN道-、超こち亀(秋本治との合作ルパン三世を掲載)、漫画活動大写真、千夜一夜物語(嶋中書店)
(引用・参考:Wikipedia)
まとめ
モンキー・パンチ先生のご実家は漁師ということで、本当ならばその家業を継いで・・・というのが昔の時代の流れのように思っていました。
しかし、あの漫画界の神様である「手塚治虫先生」の影響を受けて、そのような普通の人生を選ぶのではなく自ら漫画家を志して上京し、その才能を開花させたということを知り本当に素晴らしい方だったんだな、と思いました。
私の場合は、憧れている存在の方がいても「どうせ、無理」とかすぐに諦めて上を目指すことをしていなかったからです。
人生は一度きり。
これからの残りの人生を、悔いの無いように過ごしていきたいなと改めて思いました。
最後に、モンキー・パンチ先生素晴らしい作品を世に残していただきありがとうございました!
先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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